自分の不調を掘り下げてみたら

先日はメンタルが落ちた時の体の不調について書きました。
時々、メンタルが落ちているから身体に表れてきた体の不調に気を取られ、長く病院通いを続けたり薬を飲み続けたりする方がいらっしゃいます。
病院で病名がはっきり出ない時や、ある程度続けて薬を飲んでも改善しない時は体に問題が出る原因は体ではなく、脳かもしれません。
脳…つまり心のほうに要因があって、それが脳の働きを妨げていることが考えられます。
気持ちが原因で体、つまり表面に不調が表れた時は、自分を中を掘り下げて心のケアをしなくてはなりません。

ということで、私の今回の不調を掘り下げて観察してみましょう。

今回は自覚があり、体より心が原因なのが明らかです。
心を乱していることは何かを探します。

ウイルス問題で、人と直接会う活動に対して世間の目が冷たくなりました。
リモートでは限界のあるメンタルケアやカウンセリングは全く前に進めません。
それが一つ。

外で仕事をする家族はコロナの影響を受け、この一年、仕事が減ったり無くなったり。
そちらのケアをなんとかしようとして、自分を顧みませんでした。
それが二つめ。

そして三つ目が一番大きな引っ掛かり。
自分の将来や自分の考えや気持ちを周囲の人にわかってもらえず、勇気を振り絞って働きかけても反応が冷たく感じてしまうこと。
協力者、理解者が欲しいのですが多少理解してもらい易いはずと信じていた人たちが
「仲間と協力してやってください」→自分は仲間じゃないから仲間を探して勝手にどうぞ?
「自分にはできない」→やってくれ、じゃなくて応援してほしいだけなのに?
「気心知れた少数の自分たちだけで」→他の困っている人を受け入れないの?
すると、過去のことが蘇ります。
「あなたはいくらほしいの?一体何ができるの?」→上から目線で、値踏みされているの?
「自分たちだけでやりたいからあなたとはやらない」→私のことをほとんど知らないのに、最初から避けるの?
「人を増やすと赤字になるから仲間に入れるのはお断り」→わかるけど、カウンセリングでいきなり損得勘定?
「こんな(コロナの)時に人を集めて…」→こんな時だからメンタルが弱って辛くなる人がいるのに助ける活動しちゃダメなの?

嫌な過去が蘇ると、ろくなことがありません。
その過去は実は過去の気持ち、感情。
感情の処理がきちんと終わっていないものですから、過去の気持ちが今の気持ちまで邪魔しに来ます。

私の一番の問題は動いても次につながらず、無駄の繰り返しのようになり、動くのが怖くなっていること。
困っている、今まさに辛い人がいるのに何もできないでいる焦りがあること。
そして、自分の生活に対する物理的な強い不安が四六時中あること。

そこの気持ちを過去の人たちも、近頃の今の人たちも誰もわかってくれないという一点です。

人は「話す」ことが必要。頭で思うのではなく、誰かに話す。
「話す」だけで気持ちに客観性を持たせることができ、整理することができます。
思えば、遠慮してそれらの引っ掛かりを誰かにきちんと話したことがありませんでした。

話す相手は誰でもいいのですが、誰でもいいわけではない時があります。
今回、話していい相手だと思って話し始めたら、こちらの話を聴くよりも反対意見やその人自身の話をされてしまいました。
そういう状態では思うように話せないし気持ちが治まらないために、私自身が少し歪んだ見方で周囲を見て、勝手に傷ついてしまったようです。

話す時は正直にありのままの気持ちを話す。
聴く時はありのままの気持ちだけを聴く。

この関係性が重要です。
日常それを心がける人が増えていけば、生きづらい現代のストレス社会も、もう少し生きやすくなりそうですね。

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自分の不調を観察してみたら

「ストレス」なんて一言で片づけてしまいますが、一律ではありません。
多くの場合、自分にしかわからないストレスの原因と種類、症状、その表れ方です。

実は私、一昨日から急に気分が下落して、三日目ですが、まだ浮上してきません。
丁度良い機会ですから、それを探ってみようかなと思います。

とりあえず、今の症状、体の状態、異変はどうかというと……。
頭痛。頭の中に岩が詰まったみたいですね。重くて微かな鈍痛のようなものが奥の方にあります。頭に触ると表面はピリピリ傷みます。
耳鳴り。ビーという音が途切れることなく鳴っています。
変な食欲。お腹は空かないのに、何か口に入れていたい。甘いものを異常に欲する感じです。
湿疹。ここ数日、急にブツブツあちこちに出てきました。
体の痛み。以前に傷めた背骨、肩、膝、足首などの痛みが復活しています。
倦怠感。とにかくだるくて横になりたい気分です。

たくさんですね。我ながら呆れますが、興味もそそられます。
こういう症状は、気分が上がっている時は出ないか、出ていてもそんなに気になりません。
私の場合、頭痛、耳鳴り、湿疹、体の痛みは子どもの頃からある慢性的なもので、だんだん年齢を重ねていくにつれ、酷くなっていくのは当然ですね。
普段は慣れてしまってそれに意識を向けずに過ぎていくのです。
人間は慣れてしまう生きもので、痛みにも慣れてしまいます。
その上、痛みは実際は脳、つまり心がどのぐらいに痛いと判断して認識しているかということであって、同じ傷でも人によって痛さは異なりますし、同じ人でもその時々に痛さの度合いは違ってきます。

今の私の体の状態はこういうことです。
心が元気を失くすと元々あった不具合を思い出したり、不具合に気づいたり、痛みや辛さを普段より大きく感じる。

そこに気づくと、まあ、いつものことかな、ちょっと気分が落ちているせいだな、とわかります。
慌てて病院に駆け込む必要もなく、わざわざ痛みを気にして痛みをより感じるように助長してやる必要もないかな、なんて思います。

対処法として、つい先ほどやってみたことは……
新しく出た部分や、あまりに生活を邪魔する不具合ならば、静かに座るか横になるかしてみましょう。そして、不具合のある所に意識をもっていきます。
私の場合、今一番邪魔なのは耳鳴りだったので、その音に気持ちを傾けます。そして、「ここ調子悪いよ~、うるさいよ~」と思います。「ここ、少し楽にしようね~」と自分に言い聞かせます。
気休め。
でも、「気休め」って面白いのですが、脳は反応するようです。自分の気持ちが動けば、脳が反応し細胞に伝達されます。上手に伝達されると自己治癒力が働きます。脳の科学的システムを利用することになるのですね。
次にするのは、マインドフルネスが良いそうです。静かに瞑想状態に持って行くとよいですが、私は苦手。
でも、マインドフルネスのキモは何かというと「今をそのまま感じること」だそうなので、それができれば呼吸法だのなんだのという形にとらわれなくてもよさそうです。
目を閉じて寝っ転がったまま、耳鳴りの音から少しだけ離れて(だって、まだビービーですから)、ラグの手触りに気づきます。柔らかい毛の感触が心地よい。ふと片手が冷たいなと思いました。片方はラグからはみ出してフローリングの上でした。硬さを味わいます。冷たくなってきたので引っ込めて、両手をラグの上に。雀の声が耳に入って来ました。盛んに囀っています。……。
という感じで、一つの事でもいくつかのことを順にでも、周囲のありのまま、自分のありのままの感覚に身を委ねます。な~んにも考えず、ボケーっとしたまま、今感じる感覚だけをいっぱいに感じるようにできたらいいのだそうです。
当然、耳鳴りは残っていますが、気になる度合いがうんと下がっていって、気持ちがホッとしている感じです。同じ大きさで鳴っているのでしょうが煩わしさは少し軽減。
こんなふうに、少し自分の不調を過去から今、そして現在の自分の周りにあるものと一緒に観察したり感じたりしてみると、少し、変化が起きる場合があります。
それと、もう一つ。
近頃寝不足が続いているのに寝つきが悪くて、夜更かし寝坊っぽい生活リズムになっていたので、休んでいいなら眠ってしまうのがいいと思います。が、やることがあるので、寝るのは夜まで待つことにします。

いずれにしても、どんな方法を使うかは自由(あくまで社会のルールの範囲内でですけれど)。
目的は「調子の悪さばかりに気持ちを持って行かれないようにする」ことですね。
それだけで、不調な時も悪い方へ気持ちが落ち込み過ぎずに、少し楽な安定した状態でいられるようです。

子育てのこと 2 休めない母親

燃え尽き症候群的な状態が、時折子育てにも起きます。
受験や就職、結婚など具体的に子どもの将来に理想を持っている親御さん、且つ、そのために自分のエネルギーの大半を費やして手助けをするタイプの人には起きやすいです。

頑張って頑張って、子どもと一緒に目標達成まで…。

それで望む結果が出ればいいけれども、望む結果が出ないこともあります。
そうなると、もうがっかりです。
多くを我慢してすべてを子どもにかけたのに…という気持ちになります。
目の前でしょんぼりする子どもを見るにつけ、ますます胸が痛みます。
どうしてよいかわからなくなり、疲れ切って、頑張りに限界が来て……全身から力が抜けて、すべてを投げ出したくなってしまいます。

大変ですね。

子どもと一体化したような気持ちになり、子育てに夢中になっている間に、見落としがちなことがあります。

それは、親自身のこと。

特に父親より母親に頻褚だと言われます。
子を産み、母となると当然母性本能が刺激されます。自分が産んでいなくても、自分の庇護下の「大切な子」という気持ちが内側から勝手に湧いてきます。
自分の意志や思考とは別に、無意識に自分のすべてを子どもにかけようとします。
子どもの将来のためにスーパーマザーに、完璧な母親になろうとしてしまいます。
自分のことを我慢し、子どもとその父親に見返りも求めず尽くし続けます。
衣食住の世話、時間の使い方など、生活のすべてが子ども中心のペース配分になります。
家族のペースと子どものペースの間に挟まり、家事と子育てに振り回されて多忙な上に多大なストレスを抱えます。
さらに、それを「母親なら当たり前だ」「良い母親とはそうあるべきだ」「今は仕方がない」「母親の責任」等々、思い込んでしまいます。
残念なことに日本社会は周囲もそういう雰囲気を感じさせ、母親には見えない圧力になっていることもあります。
それで、母親は自分に構っていられなくなります。酷くなると、自分が楽しむことに罪悪感まで感じてしまう場合があります。

当然、そんな生活には限界が来ます。
ハードに外で仕事をこなしていた人と同等に、主婦業、母親業はハードなものです。
考えようによってはもっと理不尽でハードです。物理的にただ働きですし、勤務時間も1日24時間ですから。
よって、兼業、専業を問わず、主婦も外で働く人と同等に、ワーカホリックになりますし、燃え尽き症候群になる危険をはらんでいます。

子育て中のみなさん、自分のためのこと、していますか?
自分の本音に向き合っていますか?
周囲の影響の理想の母親像に縛られてはいませんか?

自分も他の家族と同等に休んでいいし、甘えていいし、楽しんでいいのですよ。
家族だろうと友人だろうと、赤の他人だろうと、助け合うようにできているのが人間です。

それができない人は、要注意。
家族と物理的に離れて休み時間、休日を取って、自分自身を取り戻す休養時間や楽しみを満喫する時間を作りましょう。

子育てに休みは無い。しかし、母親が子育てを休むことも子育てです。

母親が子どもと離れて行動をするということは、子どもの成長にとても良いことです。
母親の目の届かない所で他の人たちと過ごす時間は、子どもにとって必要不可欠な成長のための経験。
幼いうちから時々経験するほうが視野が広がり、心が豊かになるでしょう。
「家族はいつも一緒に居すぎないこと」が、意外にもお互いのためにいいことなのです。


桜のピンク

春らしくなりました。
春の風向きですが強く吹く日が増えました。
ソメイヨシノの開花が伝えられています。
家の近くにある桜の一本は早咲きの種のようで、既に先週に満開になり、この風で散り始めていると思います。
それでも、桜が咲くと日本人の多くは華やいだ嬉しい気持ちになりますね。
淡いピンク色、そしてシャープな切れ目のある愛らしい花びらの形、小ぶりの花。
立派な黒っぽい幹から大きく広がった枝に花だけがいっぱいに咲く姿は、本当に美しいもの。

桜色は日本を象徴する色と言ってもいいぐらいの色です。
日本と言えば、桜。
日本の美、特に四季の繊細さの象徴として世界に通用するイメージですね。

春が近づくと、桜をイメージした品々が出回ります。
お香、花びら模様の小物や文房具、食器など、雑貨店に行くとウキウキします。
桜の香りの食べものも出回ります。
桜餅、桜茶に、近頃は桜のフレーバーのケーキや飲み物を見かけますね。
春を待ちながら、そういう物に触れるのは嬉しいものです。

桜色は、日本で育った人にとっては、赤と白の中間色のピンク系の色の中でも特別な色。
変に甘えの気持ちや、我儘さ、未熟さと繋がる他のピンク色とは一線を画しています。
清楚な大人のピンクで、春の別れと出会いを受け止めて歩む色。
その効果も他のピンクとは異なるようです。

セラピー効果

桜のピンク

ワクワク感、期待感、嬉しさの増幅。
自分にも周囲にも優しくなれる。
自然体の素直な気持ちになれる。
気分一新、新しく仕切り直せる。

蜜柑のオレンジ

蜜柑は蜜柑色と言えばいいのに、オレンジ色って言うのも変でしょうか。
橙色という言い方も近頃はしなくなりました。
昭和の頃は色鉛筆やクレヨンには「だいだい」と表記されていました。
幼い子どもたちに「だいだい」って何?ってきかれたことを思い出します。
平成では既に橙は身近なものではなくなっていました。
今は「オレンジ」という表記をよく見かけます。
完全に移行したのかどうか、メーカーにもよるでしょうし、色自体にもよるでしょうか。

赤と黄色の間の色。赤に近いものから黄色に近いものまでたくさんあります。
その中でも日本人にはとても身近で馴染みのあるのが冬の温州蜜柑の色。

昭和の冬と言えば「炬燵に蜜柑」の光景でしたね。
ストーブや火鉢で暖まった空気に、みかんの水分はとても心地が良かったものです。
蜜柑の皮をどちらから剥くか、白いわたをどこまでとるか、揉むのか揉まないのか、温めるのか温めないのか、小房をいくつずつ口に入れるのか…人それぞれに微妙にこだわりがあるほど、近くにあって愛されるものでした。
また、風邪と言えば日本はまず蜜柑、という感じでした。

「蜜柑が必ず傍らにある冬」という生活が減りつつある現代ですが、「炬燵の上の蜜柑」「鏡餅の上の蜜柑(橙)」のイメージはお正月の代表的なイメージとして残り続けています。
お正月のご馳走と、元旦のお雑煮の湯気、それを囲む家族のぬくもりに代表される「幸福のイメージ」がそこに付随しています。

蜜柑を連想させるオレンジ色は、どこか懐かしさと、ホッとする安心感、ぬくもりを感じさせます。
ビタミンが体を癒す感じと、別腹効果でいくつでも食べてしまう食欲と、こたつを囲むような周囲の人との楽しい団らんのイメージがあります。

セラピー効果
蜜柑のオレンジ

孤独に疲れた時の癒し効果。
周囲の人と楽しく仲良く語れる。
食欲増進。
幸福感の増長。

蜜柑のオレンジは、日本人には特別に癒しの効果もプラスされる色です。
他のオレンジ色のように元気に明るくするだけではなく、内側から元気をサポートしてくれます。

会話が減って寂しい時に

新型コロナウイルスのための自粛と緊急事態宣言、リモートの流行で、家に籠る時間が長くなり、人と生で接触しない状態も長くなりました。
そうなると、人間という生きものは徐々に活力を失っていくようにできています。
対人関係がストレスで、コロナ理由のひきこもりやリモート交流を歓迎していた人ですら、一年以上になってくると知らず知らずのうちに、その害を受けてしまいます。

なんとなく、気分が晴れない。

きっと遊びに行けないからだ、外食できないからだ、と「物」の欠落、「物」に対する自粛、我慢に目が行ってしまいがちです。
宣言が解除された途端に外に出てやりたいことをしてしまう人が出るのは、その表れでもありますね。

でも、ストレスの本当の原因は遊べない、飲めない、外食できない、出掛けられないからでしょうか?

人は人と接触を減らすほどに、実は心が活力を失い、病んでいくようにできています。
余程の修行者でもなければ、独りで長い日々を過ごすことは不可能です。
自宅の自室に引きこもっている人たちも、実はそれがしたくてそうしているわけではありません。
外で人に傷つけられて酷く傷が痛むから、致し方なくそこにいる状態であって、楽だから、楽しいから、癒されるからその状態に留まっているわけではありません。
他者に傷つけられない自室。ですが、そこにいるのも楽しくなく、実は苦しさがあるのです。

人を本当に芯まで傷つけるのも「人」ですが、人を本当に芯から癒し、救えるのも、唯一「人」なのです。

よって、不特定多数の「人」との生の接触が減ると、癒される機会も減りますし、楽な状態も減らされてしまいます。

それをわかっている人でも、感染=人命の危険のある状態の今の社会状況では、物理的に接触が安易に許されないですから、それ以外でも、できることはなるべる使って心の健康を維持したいですね。
こんな料理を食べてみるのもお勧めです。一緒に生活する人があれば、一緒に食べましょう。
カラーセラピー料理「南瓜豆乳ソースのマカロニ」は、人と楽しく過ごす気持ちになれる色の効果が入っています。
一緒に食べれば会話が弾みやすくなりますし、一人で食べても誰かとともに食事をして楽しかった気持ちを思い出させてくれる効果があります。
今、傍にいられる人と過ごすのも楽しいな、あの時は楽しかったな、あの人に元気もらえてありがたかったな、嬉しかったな、等々、楽しい気持ちに目を向けて、脳が楽しさを感じることができたら、少しほっとできるでしょう。少しだけでも、元気になれるでしょう。


子育てのこと 1

子育てに悩みはつきもの。
でも、悩んでいる間に子どもはどんどん成長してしまいます。
子どもにとって、その時間はあっという間に過ぎ去っていく時間です。
親が迷い、不安になり、悩み、恐れ、期待し…と不安定な状態でいることはあまり良いことではないのかもしれません。

しかし、親が愛情のために不安定になっている多くの場合、子どもは親の気持ちをわかってくれて、気遣ってくれているものです。
むしろ、親のほうが子どものそんな気持ちが見えていませんし、子どもの本音がわかっていないことがありますね。

かつては自分が子どもだったのに、子どもの気持ちはわからない。
不思議ですね。

日常生活(仕事、家事などの物理的なもの)に時間と気力を奪われて、余裕がないということはありませんか。
自分の事で手一杯で、その上に子どものことを考えるなんて…となっていませんか。
子どもが自分の思うように動いてくれないと、不満になっていませんか。
育児書や周囲のお子さんたちと比較して一喜一憂していませんか。
自分にとって安心な子や家族の将来の設計図を描いて、そのために準備していませんか。

親がそんな状態になると、子どもに負荷がかかります。

子どもに問題があるとおっしゃる親御さんは、本当に悩み、悲しみ、疲れたご様子です。
本当に心を痛めていらっしゃり、苦しんでいらっしゃいます。
子どものことに一生懸命な、大変すばらしい親御さんです。
それでも、敢えて、お子さんがどうこうの前に、ご自分の子ども時代や今の生活、思考を見直していただきたいと思うことがあります。

子育ては親育て。

親が子を育てるのではなく、子がいることにより経験値が上がって親が育ちます。
子どもは当たり前に自ら育つものですね。

そうわかっていても、悩むのが親。迷うのが親。

誰もが試行錯誤を重ねながら、失敗を繰り返して子育てしています。
子育ての失敗も成功も、子どもにとっては経験の一つ。
極論、親が何をやっていても子どもの経験値は上がって、良い見本も悪い見本もある中から取捨選択をして自ら方向性を決めていきます。

子どもの能力を侮るなかれ。

子どもは親が人間に作るものではなく、子ども自身が生まれた瞬間から一人の人間として自らを成長させていくものです。

親ができることって、たいしてありません。
ひとり立ちするまでの衣食住など物理的な援助と、ひたすら忍耐強く見守る愛情。

子育てに正解は無いとも言われますが、私は正解は自分の子が寿命を全うした時に、満足できれば正解、成功なのかなと思っています。
親は答えを知ることができません。答えは子どもが出すものです。
今、自分の子育てを振り返り、大人になった子どもたちを見るにつけ、感じることがあります。
子育て子育てと親が自由にできるかのように言うけれど、かなりの部分が子ども任せになっているなぁ……きっと、それがいいことなのだなぁ……と。


プロフィール

kokoromidokoro

Author:kokoromidokoro
こころみどころ双月のセラピスト

©こころみどころ双月2016/07/01

生きづらさや人に言えない悩みを抱えてしまった時には声をおかけください。
こころみどころ双月はあなたの思いに寄り添います。

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