暇より忙しいほうが好きです。

ふと気がつけば、1月も半ばに。この年末年始は忙しく過ごしました。
今週の初めまで、家族の事だけでなく、自分の事もたっぷりしました。
カウンセリングの勉強のために、家を離れて勉強会に参加し、12月から1月の間に7日間、自分の心としっかり向き合う日がありました。
通常の勉強会は月に一回で2日間で、計9日間も勉強に充てました。
マスク2枚重ねして、携帯用の消毒液を鞄に入れて、オミクロンで騒がしくなる中、無事それぞれの会場へ行き、帰宅。
次はいつチャンスが来るか、先は全く見えません。
参加できる時に参加して、悔いのないようにしっかり勉強したいです。
机に向かう勉強も必要ですが、人との交流こそがカウンセリングですから、機会は逃したくないものです。

今年の目標は、数年来変わらず、社会参加。
隔離された環境で暮らした経験で、社会との繋がり、人との繋がりの大切さをより深く知りましたから、周囲に人が居る状態で生活を成り立たせるのが先ず目標です。
コロナでの自粛やリモート流行で、このまま社会や人との繋がりが有耶無耶になってどんどん少なくなっていきそうな不安があります。
それは私にとって恐怖感にまでなってしまいます。
人間は社会的動物なので、社会や他者と疎遠になると不具合を生じます。

社会と分断されたボロボロの状態から再生した時に思ったのです。
生きていることがもう無意味なら、苦しい時に早々にお迎えが来てくれたはず、と。
なんだか少し早めに多くを学んだのに、苦しい時を過ぎたのに、こうして今もまだ生きている以上、何かやる必要があるのかもしれません。
だから、私はサボっているわけにはいかないわけです。
あの世からお迎えが来るまでの間、自分の残された役目を(それが本当は何なのかはわかりませんでれども)やれるように……。

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2022年元旦に思ったこと

めでたい気分の人も、めでたくない気分の人も、年が明けましたね。
今年もよろしくお願いいたします。

私は、どちらかというと、清々しく元旦を迎えることが多い気がします。
それは、年末からの忙しいスイッチが入ったままだからかもしれません。

とにかく家事で忙しいのが12月。イベント事や大掃除、正月の準備の大量の料理など。
年が明ければお休み気分でダラダラする家族の世話。
お勤めしている時はそのまま仕事に行くので休みなしでしたし、失業中は家族が仕事や学校に行って世話がかからなくなる時間が取れるまで、気を抜くことができませんでした。
子どもの頃は、集まってくる親戚の世話でてんてこ舞でした。

ここ数年はなんとかお正月をダラダラ過ごそうと努力中です。
やっと手を抜ける環境を手に入れて、かつての物量、精神量の双方が、どれほどの負担だったのかをしみじみと感じています。

忙しいスイッチを切ろうとした結果でしょうか、今朝は元旦に蟻がちな妙な清々しさはほとんど感じませんでした。
それでも、窓を開けて最初に外の空気を吸った時は、キンと冷えた空気が体の中を洗ってくれるような気がしました。
実際は昨日と変わらない状況ですけれど、また一年を乗り切ったホッとした感じはありますね。
今年は何かいいことが……と、今は残念ながら思えませんが、ここ数年続けているように丁寧に日々を積み重ねていくことが自分にはいいのだろうなと思えています。

一日いちにちを積み重ねることで、一日いちにちと周囲の状況や環境も、自分の気持ちも変化していきます。

「変化する」
それだけで、プラスです。
人は自らよりよくなる方向へ、居心地がよい方向へと無意識に進むいきものですから。
今年もたいして変わらないようでいて、気がつけば変化している年になることでしょう。
マイナスばかりに目を向けず、プラスのほうにも平等に目を向けたいですね。
欲張りすぎず、少しずつ。焦らず、着実に。

「普通」ってなんだろう?

「普通に…」と、不登校の子を抱える親御さんがおっしゃるのを耳にすることがあります。
「普通に夜寝て朝起きて」「普通に学校に行って」「普通に一緒にご飯食べて」「普通に話して」「普通に……」
そういう親御さんの「普通」にはきりがないようです。

そんな時、私は思ってしまうのです。
「普通」って何? と。

学校に毎日きっちり行くことって、普通でしょうか?
夜更かし朝寝坊しないことは、普通でしょうか?
ご飯をきちんと食べるのは、普通でしょうか?

学校や仕事だって休んでいいでしょ。行こうと思えた時に行けばいいでしょ。
気分に合わせて夜更かししたり、疲れたら寝坊したりしてもいいでしょ。そんなの自由でしょ。
ご飯食べたくなかったら無理に食べなくてもいいでしょ。体が欲する時に食べればいいでしょ。

何かを無理矢理にさせられる状態が続くこと。それは異常状態だと思うのです。
それこそが「普通」じゃないこと。そう思いませんか。

「普通」ってなんだろう?

近頃、そんな疑問が湧いてきます。

私の「普通」とあなたの「普通」、あの人の「普通」この人の「普通」その人の「普通」……。
いろいろな人に、それぞれの「普通」があって、人によっては重なることもあるけれど、全く同じ「普通」という定義は無い。
なのに、生きて行く中で「自分が普通でいること」がすごく難しいことがたくさんあります。
それぞれの「普通」の押し付け合いで、ぶつかってしまうことは多いです。

「普通」ってなんだろう?

ここ何日も、ずーっと、そこことに思いを巡らせています。


大掃除始めています

もうすぐハロウィンですね。
明日、カラーセラピーを使った性格診断ということで、イベント出店します。
少々体調不良気味ですが、心は元気なのでセラピーとしては問題なく行けそうです。
屋外イベントだそうなので、暖かい服装で出掛けようと思っております。

体調を崩した原因は、いろいろあるのでしょうが……まあ、溜まっていた疲れが出るきっかけは大掃除ですね。
今月は私の中での大掃除月ということで、なんとなく空き日は掃除ばかりして体をきちんと休めていませんでした。

私、年末の大掃除が嫌いです。
掃除自体も好きなほうではありませんし、寒いのがとにかく大嫌い。
元々体温が普通より低いので寒さにとても弱い体です。
そんな寒い時に、かじかんだ霜焼けだらけの手で、氷のようなお水で雑巾を洗い……子どもの頃は本当によくやっていたものだと思います。
大人になっても婚家でも、続きました。
ですが、ここ数年は思い切って掃除時期をずらしまして、秋に大掃除。
汗もかかないし、手も真冬ほどは冷たくないし、洗った物もすぐ乾くし……いろいろ便利。
そんなわけで、10月になってから部分ごとに順に掃除を進めています。
一気に全部やらない。今日はこの棚、明日はそこの収納、明後日は……という感じです。

年中行事としての大掃除は、新年を迎える準備、神様を迎える準備です。
でも、昔みたいに家族総出でやる時代では無いし、私の家は基本私一人が全部やるわけですから、物理的に無理です。
お節料理も作らねばなりませんし、イベントが多い12月に無理してやって例年お正月が終わるとフラフラで寝込みそうな中で出勤したものでした。

何が大事で、何を外せるか。
凝り固まった家と頭の中のルールをやめるのが一番いいですね。

掃除は衛生上したい。
一人でやらないで少し手伝ってもらう。でも一人でやらされる状況が変えられないのなら、小分けして日にちをかけてやる。
自分のペースで自分のやりたい時にやっていく。

自分の目的を見極め、その目的に向かう道は人それぞれ自由です。

たかが大掃除の習慣。でも、それも目的とそこへ向かう道筋は一つではありませんね。

なんだか、この先を憂いてしまいます

緊急事態宣言延長。人に会うなと言うばかりでは、人は人として生きて行けません。
緊急事態宣言中でもその反応は地域によっても個人によっても随分違うようです。

今日参加を予定していた勉強会が中止になりました。そこの公の施設は閉館です。
地域によっては時短にはしていますが公でも開けています。
イベントもやっています。
やっているイベントを探して遠くまで移動する人は移動します。
すぐ近くなのに、県外の人は来るなといわれることもあります。

いろいろです。
宣言の文面は統一ですが、それをどう捉え、どう形にするかは人の自由意思の範疇です。

今後はもっと露骨なワクチン差別が起きることと思います。
嫌ですね。
これも私事ですが、「ワクチン打った人だけ」と既に7月の段階で言われたことがあります。
その時は、世の中の人の多くがまだまだワクチンの予約もできない状況でしたけれどね。
同じ頃、ワクチンを打つことを条件に採用不採用を…ということにも娘が出会いました。
まだ予約票も手に入らないうちに、何人かの人に「ワクチン打った?」「打つよね?」と言われました。

注意深い人なら、それは「差別」とわかることでしょう。
なのに、「コロナだから例外」「人命に関係するから」という理屈がまかり通る。
今までも、そして今でも、世の中では、コロナ以外の多くの人命にかかわる危機が見過ごされていますけれどね。

意思尊重の前に、ワクチン打てる健康状態や状況の人も打てない健康状態や状況の人もいるのですから、弱者に寄り添って発言や行動をしていただきたいなと思います。

ワクチンでは無くて早く薬を自由に使える状態になるといいなと思います。
これ以上世の中が疲弊して人の心が荒むのは見たくないですね。

秋なのに、スカッと秋らしい天気の日があまりありません。
どんより曇った日は人の心を鬱々とさせますし、体調も崩させます。
そんな日は、ついつい先のことを憂いてしまいます。

私たちは人間ですから、いつでも、どんな時でも、大切にすべきは人の心です。
自分の本音を偽らぬよう、他者の気持ちを踏みつけぬよう、その感情が自分の基準と照らし合わせて良くても悪くても関係無しに、「ああ、そうか。今はそういう気持ちなんだな」と自己も他者も認めて受け止めることが重要です。

コロナであろうとなかろうと、何がその人にとって差別に当たり、何がその人の心を軽んじる行為か、何がその人を苦しめるのか。
自分の立場から一方的に物申すのではなく、相手の立場に立って、その人の気持ちに向き合うことが、今、とても大切な社会状況になってきていると感じています。

プロフィール

kokoromidokoro

Author:kokoromidokoro
こころみどころ双月のセラピスト

©こころみどころ双月2016/07/01

生きづらさや人に言えない悩みを抱えてしまった時には声をおかけください。
こころみどころ双月はあなたの思いに寄り添います。

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