「願望」にまつわる私の個人的体験

年の瀬。すっかり疲れ切って、クリスマスソングが恨めしく響き、正月のぬくもりも望めない悲しい気持ちの人も多いです。
心配事がたくさんある毎日を、一日いちにち、必死で乗り切っていますね。
コロナだからという人も、それ以前から大変だという人も数多いです。
平和で豊かという日本のイメージは形骸化しているように感じます。
年の終わり、自分も終わりたくなる気分になる人もたくさんいらっしゃいます。
そんな中で、ふと、今日は個人的で変な?死と生について思ったことを書いてみたくなりました。

不平等な世の中で、不平等な人生の中、一つだけ平等なのは全員が死に向かって生きているということだなぁと思います。
死は自分でそこに向かって一生懸命頑張らなくても、時が来れば確実に訪れます。

私は10代の頃からずっと「早く死にたいものだ」と思って生きてきています。
家庭も、学校も、職場も、婚家も、常に緊張を強いられ、有言無言の圧力がかかって、気を緩めていられる時がほとんどありませんでした。
モラハラに晒された生活が長くて、そこから抜け出すこともかなわないと思っていましたから、ありがちな考えでしょう。

そういう環境で何十年と過ごすとプラスエネルギーを失っていきます。ポジティブな思考が失われるのですね。
マイナスエネルギーが溜まり、ネガティブ思考に傾き、視野は狭くなります。体も異常状態になり、正常に動かなくなります。

とうとう気力が完全に尽きた時がありました。
いつも「早くお迎えが来ないかな、死にたいな」と思っていたのが、それも考えられなくなりました。
すべての希望が失われたのです。
「死にたい」とは希望です。願望です。こうしたい、ああしたい。遊びに行きたい、ご飯食べたいと同じことで、後ろ向きと言われようと、「死にたい」はまごうこと無き「願望」で未来への行動への欲求です。
私の最後の願い「死にたい」の更に奥にあったのは、「私は人間だ(人間扱いしてくれ。人間になりたい)」という思いでした。つまり「感情のある人として生きたい」という「真の願望」が隠れていたのです。

でも、そこまでマイナスエネルギーが充満すると、もう頑張れないのです。
自分でそれを行動に移すようなエネルギーはすっかり失われて、体力が無く日常生活も大変ですし、思考力も無くて考えも浮かびません。
最低限の生命維持をしているだけの空っぽの物体になっていました。
そこで、やっと人の手を借りました。相当遅かったですが、自分の復活再生にはなんとか間に合いました。

現在、今までの人生の中で一番心が平らかで、プラスエネルギーがあります。
感情を大切にする生き方をすると、エネルギーが溜まるのを身をもって知りましたから、実践中です。
私は「感情を中心に生きる生物=人間」になりました。
相変わらず生活苦で、自分含めてどこかしら問題のある家族を抱え、クリスマスソングは恨めしく響きましたし、お正月は気が重いばかりです。
相変わらず破滅に向かって進んでいるような状態ですが、どこへどう進もうと、いずれ時が来ればめでたく?死を迎えます。それは自然の摂理であって、決定事項です。
今はまた「早くお迎えが来ないかな~」と願望を抱けるような幸せを享受できるようになり、破滅への恐怖は以前より漠然として薄れてきています。
どうせいつか死ねるのだから、大丈夫。毎日を小さく楽しみましょうという感じです。
「死に向かってプラス思考で元気に生きる」
今の私はそんな感じです。
すっかり変人になりました。

「死にたい」等ショッキングにきこえる内容であろうとも「願望」。
それがあって実行できるぐらいまだ頭と体が動くなら、その頭と体を使って気持ちをわかってくれそうな人を訪ねて、その気持ちを話してください。
周囲に誰も思い当たらないと思ったら、ダメ元かもしれませんが、こころみどころにお越しください。
遠くて来れない人は、自分の気持ちの奥を探ってください。
人はどんな状態からでも「願望」があれば、より良く変われる生きものですから、あなたの「願望」の奥にある「真の願望」を見つけて表に出してやってください。
きっとそれはあなたをあなたたらしめる、大切なプラスエネルギーの素かもしれません。

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できることなら、物よりも……

先週、またカラーセラピーでの出店をしてみました。
店の位置の問題もあって、お店の存在自体に気づいてもらえず、一日外に座り続けて客はゼロ。交通費分がまるまる赤字。

それでも、収穫がゼロかというと……人との出会いがありました。来月、またその人にお会いしたいなと思うような人。大収穫です。

「体の生命維持」という面では経済的な自立を一番に考えるべきなのでしょうけれど、どうも私はそっちは二番。
一番大切なのは「心の生命維持」。

なぜなら……心が死んだら体があっても無意味どころか二重苦三重苦になり、大きなマイナスだということを実体験してしまった過去があるからです。
心が健康な人として復活を遂げ、幸福感を持って日々を過ごせる今があるのは、「変わりたいという強い思い」と「他者との出会い」のお陰です。
他者との出会いはその瞬間だけでも構いません。私に再起する心のエネルギーをくれた人たちは、どん底にいた時にたった一度だけあった人から一年未満の関係の人ばかりです。
不思議なことに、復活した後は継続した良い人間関係の人が何人もできています。

そんな経験がありますから、素敵だなと思う人との出会いは何より心の栄養になって、満足度がぐんと上がります。
物理的に赤字で、じっと外でポツンと座っているだけなのは大変でしたが、間借りさせてくれた友人のNPOの商品はよく売れていて、店員も客も双方がとても楽しそうだった様子が見られたことと、新たな出会いがあったことが自分の心の満足感で、比べたらプラス。
来月は冬空の下になるけれど、また赤字でも行く気は満々。

ただ、少し気になったことがありました。
今回じっと座って眺めていた道行く人たちの多くが、ただ物欲を満たすことで心の隙間を埋めようとしているように見受けられたのです。

物を手に入れても一瞬だけの幸福感。心の芯までは満たされないことが多いです。

時世柄、心の余裕のない人が増えていますが、心の栄養を補うことで物理的に何も変わらなくても、生きづらさから随分解放されるものです。

物理的に上手く行かないからこそ、物を手に入れることよりも、心の栄養を手に入れるほうが幸福感が継続し、状態が好転する可能性が高くなります。

みなさんも物欲よりも、心の栄養を摂ることに気持ちをくだいていただけたらと願います。

会話することはとても大切です

新型コロナウイルスが留まることを知らぬように感染の拡大が広がり、コロナウイルスはそもそも変異する存在なので当然ですが変異し、どんどん人を利用していますね。
立派な脳を持つ人間がその習性を知りながら過去のパンデミックの事例を知りながら後手後手に回っています。
今は物理的な命の危機であると同時に人としての危機でもあると気づいている人がいるのでしょうか。

命を救わねばなりません。

「だから人との接触を断ちましょう」という方針です。
最初の緊急事態宣言の時は誰もがその意に従いました。
この新型のウイルスに対する知識が無く、情報も錯綜し、皆が不安を感じて恐れたからです。

今回、二度目の緊急事態宣言が出ました。
人々の心持ちは一度目とは大きく異なります。
一度目の宣言時、急に仕事が自宅待機になったり、解雇になったり、学校が休校になったり、それまでには想像したことのない事態に陥った人が多く出ました。
そういう苦しさの中、人と会えずに自宅に引きこもり、心が不安定になってしまいましたが、その自覚のない人がとても多い様子でした。
一度目の期間が終わり、まるでウイルスから解放されたように錯覚してしまった人も多く、急にマスク無しで外を歩く人を目にするようになったものです。「締め付ければ解放したくなる」ものです。
その後、感染予防にはどうしたらよいかという基本の考えが多くの人に浸透し、それが行動にも表れてウイルスと共存するというような考えを広める動きが出てきました。「生命を害するものと共存」っておかしなことです。
そうやって個々にできる予防策を取りつつ、ズルズル暮らしていくことに少し慣れてきて、厳密には予防対策を徹底しても見えないウイルスは完全除去できないのにもかかわらず、経済政策を推し進め人の動きを促したままでいたことで、時期が来ればまた感染は最初よりも大きく広がるという過去の歴史を踏襲する結果が訪れました。弱肉強食自然の仕組みとでもいいましょうか、それにはなかなか逆らえませんね。

もうその段階では既に多くの人の心は疲弊していしまっていました。
最初は恐怖もあるし気力もあるから頑張ることができる。でも頑張る、我慢するというのは往々にしてマイナスな気分になって精神的に負荷が大きいので長期にわたると元気がなくなります。
解放は一気に元通りといかないウイルス相手で、中途半端にストレス解消に遊びに行ったり外食したりしても、日常のペースは決して元には戻りません。仕事は失ったまま、業績は落ちたままという人も多いのに一部の業種だけが人の不幸の上でという感じが伝わってきますから、生活不安にかかる精神的不可はかなりなものです。
ウイルスだけと戦えば生き残れるのかと思いきや、心が疲弊することで異常行動に出たり、自殺したり、そこまでいかなくても心が乱れているために他者に攻撃的な態度や言葉を投げかけるなど、ハラスメント行為が本人の自覚無しに行われています。
人が「人らしさ」を失おうとしているように、私には感じられます。

命だけではなく、人(心)を救わねばなりません。

まさに人の心の危機は、人間として生きることの危機です。
どうか、周囲の人を大切に思い、気持ちを少し休めて、会話をしてください。
対面の会話の機会がが減ると、それだけで気持ちの安定がじわじわと阻害されます。
人には会話が必要です。
家族、近所の人、友人、誰でもいいです。どうか、感染対策をしっかりしつつも、お互いに気持ちを語り合える状態をできる限り失わないよう、大事に維持してお過ごしくださるようにお願い申し上げます。

今、思うこと 2021年元旦

元旦の新聞のトップ記事はコロナ関連のままです。
それでも、新しい年になりました。令和三年。石の上にも三年…?
そろそろ何かよい動きががあるといいなと思います。
皆さまはどんな心持ちで今朝を迎えられたのでしょうか。

2021年正月飾り

その大きさはまちまちですが、昨年も多くの人が苦しみ、多くの人が喜びました。
今年も当然、そうなるでしょう。
人が生きる中には、喜びと苦しみも共にある。
怒ることもあり、安らぐこともあり、悲しいこともあり、嬉しいこともあり、傷つくこともあり、癒されることもあり……。
心のままにたくさんの感情を今年も感じて生きていきたいです。
感情が人を動かすのですから、感情が無ければ世の中は止まったままになります。
欲も持ちたいです。
ただし、他者を顧みず自己の欲望のままに動けば真の喜びには至りません。本当の幸福を知る人は他者を大切にしますね。
他者を当たり前に大切にできる人でありたいものです。

新年。気持ちを新たに。
今日は新年だけれども、人生の流れの中のある一日にすぎません。昨日から今日へ、今日から明日へ、途切れることなく時は流れ、私たちは皆、その流れの中に生きています。
今日立ち止まっているつもりでも、動きたくても止まらされているように感じていても実際は動きは止まっていません。
昨日は昨日。今は今。明日は明日。
過去を振り返って苦しむ必要もありませんし、未来を憂いすぎる必要もありません。過去はあなたの糧であり、未来はあなたの求めるもの。
その間にある今を自分らしく自分の心のままに、大切に生きたいものですね。

今年の反省。ネットでは心もとない。

大晦日。雪が降っています。
今年は誰もが身近に死というものを感じた年ですね。
見えない恐怖に怯え、日常が一変した人も大勢いらっしゃいました。
そんな時こそメンタルケアやカウンセリングが必要ですが、結局公の無料相談が
込み合い、民間委託という役所的な流れができただけで、ほとんど個人でやっている状態の多くのカウンセラーはいつも通りの様子です。
困っている人は多いのですが、相談は役所か組織へ。
カウンセリングって何なのかが周知されていないことが要因だなと感じました。
病気じゃなくても普通の人が受けて、より力を発揮するために使いたいのがカウンセリングですし、当然、苦しい時に苦しさを軽減したり、心の病を回復する方向へ向かわせる手伝いをするのがカウンセリングです。
人の心の問題ですから、理屈や理論、アドバイスや物理的な方法では成り立たないことが多いです。カウンセリングは人と人との関係性、人との信頼関係で成り立つので、カウンセラーなら誰でもいいわけではありません。組織の人だから、無料だからと言って大丈夫とは限りませんし、個人だから大丈夫とも限りません。カウンセリングも種類はいろいろで、合う合わないということも起きます。
今年はそこを少しずつ広めようと考えていたのですが、難しかったですね。
ネットでは伝わらないものがカウンセリングと本当に思い知らされました。
今年の反省点です。
早く人と人とが生で対面して、普通に正しいカウンセリングができる日が来るといいと
心の底から願っています。
プロフィール

kokoromidokoro

Author:kokoromidokoro
こころみどころ双月のセラピスト

©こころみどころ双月2016/07/01

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こころみどころ双月はあなたの思いに寄り添います。

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